レポート「2012タイ伝統医療博物館①」by 石垣桃子

タイ 伝統医療博物館

ちょっと不思議で奥が深いタイの伝統医療にふれる場所。

なかなか見学することが難しい伝統医療博物館に行くことができました。
こちらはバンコクから車で小一時間。
え?街?と思う程の広大な敷地の保健省の中に伝統医療博物館はあります。
建物の数も多く、水連の浮かぶ池もあり、ちょっとしたリゾート気分です。
伝統医療博物館はテーマに沿ってタイの伝統家屋を模して作られた建物がいくつもあり、テーマパークの様にとにかく大きい!

まず私たちを迎えてくれたのは色々なポーズをとったルーシーダットン像の丘。
中には顔が動物のルーシーダットン像も。なんと動物でも瞑想を続けると人間に生まれ変わることができるそうです。
動物も瞑想?ちょっと不思議です。

展示の部屋は内容によって以下のように分かれています。
①輪廻転生の部屋
②シワカコマラパ先生の部屋
③タイ伝統医療の歴史と推移の部屋
④タイ伝統医療の知識の部屋
⑤タイ伝統医療マッサージの部屋
⑥タイ料理の部屋
⑦サムンプライの部屋

【①輪廻転生の部屋】

タイの人々は信心深く、宗教、仏教の教えがタイの伝統医療にも色濃く影響をしています。

こちらの部屋は人の一生と生まれ変わりの話の絵が壁を囲んでいます。

左手には輪廻転生の絵。人間は500回生まれ変わり、最後の10回が大切な生まれ変わりだそうです。この絵にはその大切は10回が描かれているらしいです。

人は死後、人に生まれ変わったり、動物になったり、地獄に落ちたり。

地獄に落ちても長い苦しみの後にはやがてまた人間に生まれ変わる事が出来るらしく、ずっと苦しまないと言うのがなんともタイの人々らしい考えで、ほのぼのしています。

右に展示されている大きな絵は降魔成道のお話。

菩提樹下のゴータマが悟りを開く為の瞑想中にそれを邪魔しようとマーラ軍(煩悩)やヤクーなどの魔物が襲ってきます。ゴータマは左手の中指を地面に触れ、大地のプラ・メー・トラニー神を呼び出しました。

プラ・メー・トラニー神は自分の髪を絞って洪水を起こし、魔物を流してゴータマを守ったとされているらしいです。そして、ゴータマは悟りを開いて仏陀となったそうです。

プラ・メー・トラニー神はバンコク市水道局のシンボルマークにも使われています。街にでたら探してみよう~。

②シワカコマラパ先生の部屋

タイマッサージの祖、シワカコマラパ先生の部屋です。

バーイシーで出来た9段の飾り物、教本とハーブを切るナイフが飾られています。

タイの医者はその昔は、治療を施した患者から出来る範囲でのお返しをもらっていたそうです。時には米だったり、果物だったり、お金の時もありました。

バーイシーは、バイトーン(バナナの葉)や生花で豪華に飾り付けたタイの高級民芸品で、精霊へのお供えや仏門に入るため(出家前)の儀式、結婚式、来客をお迎えするときに使用されるお供え物としてタイ人の生活と密接に結びついています。ドーク・バーンマイルーローイ(千日紅)など縁起のいい生花を飾り、回りの装飾にゆで卵、バナナ、ココナッツ、フォイトーン(卵黄の金糸)なども用いられます。バーイシーは色々な形のものがあり、儀式によってその形は異なるそうです。

バーイシーは純潔な器で「クワン(タイ人が信じる魂の力)」を呼ぶとされています。

タイ人は、クワンは全ての人が生まれてから死ぬまで持つものだと考えていて、クワンは精神力であり魂だそうです。クワンを持つと幸せになると信じています。

③タイ伝統医療の歴史と推移の部屋

タイマッサージと関係があるのではないかと言われているスコータイ時代以前の壁画や、スコータイ時代以前のブッタの姿とされていた石像があります。

シラチャイドックと呼ばれている黒い大理石の碑文もあり、タイ伝統医療の中で培われてきた人が生きて行くうえでの大切な生活方法が書かれています。季節の過ごし方、タイでサムンプライと呼ばれる病気に効く薬草や鉱物などの知識がパーリー語以前の昔のタイ語で書かれていて、どうもインドと中国の言葉が混ざっているらしいです。

タイの伝統の知識が木の葉に書かれた物はバイラーンと呼ばれています。展示品は発掘された物でスコータイ時代以前に使われていたらしいです。

アユタヤ時代では、タイには王室の従属医師と民間の医師がいて、身分の高さを印籠のような棒を持ち、肩から袋を提げている姿で表していたそうです。

この姿でタイの村々を訪れては有効とされるサムンプライを棒で探し、村人に献上させて宮廷に持ち帰りました。村人はサムンプライを捧げることを誉れに思っていたらしいです。

ラマ1世(在位:1782-1809)

ワットポーを修理し、本道周辺に仏教、サムンプライ(タイ薬草学)やマッサージの経典彫らせました。この時のものは規模が小さくほとんど現存していないらしいです。

ラマ3世 (在位:1824-1851)

この時代に王室だけに伝わってきたタイ伝統医療を一般の人々に公開しようとサムンプライの知識やタイマッサージの60本のセンの情報を大理石に彫った物などをワットポーのあずま屋に展示しました。健康によいとされるポーズをとったルーシーの像も展示されましたが今はほとんどが盗難にあったり、壊されたりしたそうです。入手が困難な薬草も境内で栽培して、一般の人々の医療の発展を発展させました。

ワットポーには中国の影響を多く受けたものが多く、これはワットポーが建設時には中国との貿易、交易が盛んでお布施も多かったかららしいです。それにより中国の様式の仏像も設置されました。この考えとは別に船のバルストスイの変わりに運ばれた像が捨てられずに展示されているだけという説もあります。

ラマ5世時代(在位:1868-1910)

タイ伝統医療を復興させるよう、西洋医学とタイ医学を分けて発展させる。

シリラート病院設立しタイ医学の教科書も作らせる。

ラマ6世時代(在位:1910-1925)

伝統医療を軽んじるようになり、タイ方医学を中止させる勅令を出しました。タイの伝統医療医は逃げたり教本を隠したりするようになってしまったそうです。

ラマ7世時代(在位:1925-1934)

伝統医療が見直されたそうです。

*マッサージの前に唱えるオナモについて質問をしたところ、お祈りは、マッサージはもとより仏教以前のタイ人の信仰で多くのタイマッサージに関わるタイ人はシワカコマラパ先生や先祖の力をかりてマッサージをすると信じているとのことでした。

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